
教会玄関ホールに飾られた、教会メンバーの聖句書道作品です。
十字架の言葉は、(…中略…)わたしたち救われる者には神の力です。
(日本聖書協会「聖書 新共同訳」 コリントの信徒への手紙 一 1章18節)

キリスト教は、イエスをキリスト(救い主)として信じる宗教です。
しかし、よくよく考えてみると、なかなかユニークというか、ある意味、馬鹿げたことを信じている宗教とも言えます。十字架につけられて処刑された人間を、神として礼拝しているのですから。
なぜ、十字架につけられてみじめに死んだ男を、神として礼拝するのか。イエスが神だというなら、その神は無様に負けたのだ。無力だったのだ。どうして、そのような男を神だと言って、ありがたがってあがめているのか。理解できない。ばかげている。
キリスト教は、当初から人々のそうした嘲笑を受けていました。
にもかかわらず、しかし、それでも、信者たちはこの「十字架の言葉」「十字架につけられたキリスト」を宣べ伝え続けたのです。
使徒パウロは言います。
ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
(日本聖書協会「聖書 新共同訳」 コリントの信徒への手紙 一 1章22~25節)
その弱さの中に「神の力」がある。その愚かさの中に「神の知恵」がある。パウロは、十字架における「神の逆説」を語るのです。
この逆説を、聖書から共に味わってみませんか?

===== ===== =====
聖書の話に興味をお持ちになられましたら、ぜひ教会をお訪ねください。
「主日礼拝」は、毎週日曜日 午前10:30~12:00に行われています。
一般の方々を歓迎する「オープン礼拝(主日礼拝体験会)」もあります。
礼拝出席へのご質問はこちら
⇒ 富山キリスト教会「はじめての方へ」
お問い合わせはこちら
⇒ 富山キリスト教会「お問い合わせフォーム」
====== ===== =====
