私たちの教会では、毎週日曜日午前10時30分から「主日礼拝」(しゅじつれいはい)をしています。

11月24日(日)の主日礼拝は、「オープン礼拝」(主日礼拝体験会)です。特に一般の方々のご参加を歓迎する主日礼拝です。聖書やキリスト教のわかりやすいお話をご用意しています。

ほぼ毎回、信者でない一般の方々が数名ご参加くださっていますので、「私も信者ではないんだけど……」という方、お気軽にいらしてください。

◇11月のオープン礼拝(主日礼拝体験会) 

日 時:2024年11月24日(日) 午前10:30~12:00

説 教:人として
    ルカによる福音書 10章25~37節

説教者:佐野兼司

場 所:富山キリスト教会
参加費:無料

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今回お話しするのは、「善いサマリア人のたとえ」としてよく知られているお話です。

ある律法の専門家の質問に答えようとして、イエスはたとえ話を始めます。

「ある人(ユダヤ人)が追いはぎに襲われて、半殺しの目にあった。追いはぎは立ち去り、彼は一人残された。そこにユダヤ人の祭司(宗教家)がたまたま通りかかったが、彼は関わらないようにして通り過ぎた。

同じようにユダヤ人のレビ人(レビびと・下級祭司、祭司補助者。宗教家)が通りかかったが、彼も同胞を助けることなく、関わらないようにして通り過ぎて行った。

ところが、そこにサマリア人が通りかかって・・・」というお話です。

このたとえ話のポイントは、ユダヤ人とサマリア人が反目し合う関係にあった、つまり仲が悪かったというところにあります。

「こちら側の人間か、あちら側の人間か」で線を引き、口汚く罵り合う。お互いに相手の話を聞こうともしない。そういう光景を目にすることが、最近増えてきたような気がします。対立はますます先鋭化するばかり・・・。

今回は、アウシュヴィッツ強制収容所の体験者であり、『夜と霧』の著者として知られる精神科医・心理学者フランクルの言葉も紹介しながら、“イエスの目に人間はどう見えていたか” について考えてみたいと思います。

オープン礼拝は、「教会の礼拝をのぞいてみたい」「キリスト教や聖書の話を聞いてみたい」という方々を歓迎する礼拝です。

ご希望の方には、新約聖書(無料プレゼント版)を差し上げます。

毎週10~15人が集まる素朴なおだやかな教会です。みなさまのお越しをお待ちしております。

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