2026年1月18日(日)主日礼拝後、年に一度の 「教会会議」 をしました。

教会会議とは、昨年度の活動報告と決算、今年度の活動計画と予算を話し合う会議です。
今年の標語は、「命の息の深呼吸」。
聖句は、
「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」
(日本聖書協会「聖書 新共同訳」 創世記2章7節)
この日の主日礼拝では、この箇所から聖書のお話をしました。
「命の息の深呼吸」
1.人は「土の塵」でつくられた
人は土の塵から生まれ、死によって土に還る。古代のみならず、現代でも受け入れられている人間観の一つです。こう言うと、「だから、人間の人生ははかなく、むなしい…」という話になりがちです。それも一つの人間観と言えばそうですが、聖書の語る人間観は異なります。
聖書は「神と人との関係」を描く書物です。
「人間とは何か」
聖書は、「人間とは、神によって造られた存在である」と語ります。ここでは「人間とは何者でもなく(神ではなく)、土の塵に過ぎない存在(被造物)である」ということが語られています。
2.神は人に「命の息」を吹き入れた
しかし、ただの土人形、泥人形ではありません。神自らが形づくり、命の息を吹き入れた存在です。陶芸家が熱い思いをもって土をこね、それを形にして整えていき、作品に命を吹き込んでいく姿をイメージしていただければと思います。
命の息を吹き入れられて、人は生きる者となりました。
単に動き出した、生き物になったということではありません。ちなみに、この創造物語では動物たちも神によって土で形づくられるのですが、命の息を吹き入れられることなく、生き物となっています。ですから、「命の息を吹き入れられた」「生きる者となった」ということは、「呼吸が始まった、心臓が動き出した、生き物になった」というような生物学的なことではない、それ以上のことが語られているのです。
どういうことなのでしょう?
「命の息」…「息」は「霊」とも訳される言葉です。
神は霊です。そして、神は人にご自分の「命の息」「命の霊」を吹き入れました。わたしたちは土の塵に過ぎない存在ですが、神はわたしたちを「神との関係において特別な存在」として形づくり、ご自分の「命の息」「命の霊」を吹き入れ、神と向き合う存在(霊的な存在)としてつくり上げてくださった、ということなのです。
先ほど、「人間の人生ははかなく、むなしい…」という人間観をご紹介しましたが、聖書は「決してそうではない」と、神の愛に基づいて力強く語ります。
3.人はこうして「生きる者」となった
土の塵に過ぎなかったものが、神によって形づくられ、神によって「命の息」を吹き入れられて、「(神との関係において)生きる者」となりました。
神と向き合って生きること、神とつながって生きること。ここでは、そうしたことが「生きる者」と表現されています。
神はわたしたちに命の息を吹き込まれます。わたしたちはそれを深く吸い込み、それが心と体のすみずみにまで行き渡って、わたしたちはそれこそ息を吹き返すのです。命を得、力を得るのです。
だから、「命の息の深呼吸」。
主日礼拝では、また一人祈るときには、ぜひ、この聖書の言葉を思い出して、神の息吹を思い切り吸い込んで、深呼吸していただきたいと思います。それが祈りとなり、賛美となり、礼拝となっていきます。命の息を深く吸い込み、深く吐く。「命の息の深呼吸」、それを今年の合言葉としましょう。
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教会会議では、これを受けて今年の標語案、方針案、予算案を可決し、献身の思いを新たにしました。
ところで、今年2026年は、わたしたちの教会の「献堂25周年」。あちこち修繕が必要なところが増えてきました。教会会議でもこの点話し合われて、いくつか具体的に取り掛かることになりました。風通しのよい教会運営を心がけています。

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「主日礼拝」は、毎週日曜日 午前10:30~12:00に行われています。
一般の方々を歓迎する「オープン礼拝(主日礼拝体験会)」もあります。
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