2026年5月31日(日)、今日の主日礼拝はオープン礼拝(主日礼拝体験会)でした。
「教会の礼拝をのぞいてみたい」「キリスト教や聖書の話を聞いてみたい」という一般の方々のご参加を歓迎する礼拝です。
基本的に月に一度、最終の日曜日に開催しています。
タイルカーペットを張替え、新しい電子ピアノが入り、礼拝堂の雰囲気が新しくなって、初めてのオープン礼拝です。

ほぼ毎回、数名の一般の方々がご参加くださっています。
オープン礼拝と言っても、聖書のお話が一般の方向けのわかりやすい内容になっている以外は、普段の礼拝と特に変わるところはありません。私たちの教会の「ありのままの礼拝」をご覧いただき、体験していただいています。
参加者のみなさんの前で自己紹介をしていただいたり、来会者カードへの記入をお願いしたりすることはありません。どうぞ気軽な気持ちでお越しください。
「ホームページを見て来ました」と言っていただけると、これらの記事を書いている牧師が喜びます(^^)
続けていらしていただけるとうれしいですが、軽い気持ちの「1回きりのご参加」でも遠慮なくお越しください。

説教では、コリントの信徒への手紙 一 1章18~25節から、「十字架の逆説 ~愚かさの中にある神の知恵、神の力~」というタイトルでお話をしました。
「十字架の逆説 ~愚かさの中にある神の知恵、神の力」
十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。
(日本聖書協会「聖書 新共同訳」 コリントの信徒への手紙 一 1章18節)
十字架は本来、古代ローマ帝国の残酷な処刑道具であり、人々から見れば敗北や恥の象徴でした。しかし聖書は、その十字架につけられたイエス・キリストこそ救い主であり、「十字架のことばは、救われる私たちには神の力である」と語ります。
説教では、以下3つのポイントを挙げ、お話をしました。
Ⅰ.十字架につけられた男を神としてあがめる愚かさ
Ⅱ.イエスの復活が十字架に逆説をもたらした
Ⅲ.私たちの弱さに神の力が生きて働く
確かに、世の知恵から見れば、十字架で処刑された男を神とあがめることは愚かに映るでしょう。
しかしイエスはその十字架の上で私たちの罪や弱さを担い、神の力によって復活されました。
ここに、死から命へ、悲しみから喜びへ、敗北から勝利へ、絶望から希望への「大逆転」が起こったのです。
「最大の恥、敗北、呪い」のシンボルだった十字架が、「最高の栄光、勝利、祝福」のしるしに変えられました。
現代社会は強さや成果が求められ、弱さは否定的に受け取られがちです。しかし、イエスは弱き者とも共におられ、その弱さの中に働いて、私たちに生きる力を与えてくださいます。
そうです、神は、私たちの人生にも「十字架の逆説」を起こしてくださるのです。
というようなお話をしました。

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聖書の話に興味をお持ちになられましたら、ぜひ教会をお訪ねください。
初めての方も歓迎しております。どうぞお気軽にお越しください。
「主日礼拝」は、毎週日曜日 午前10:30~12:00に行われています。
一般の方々を歓迎する「オープン礼拝(主日礼拝体験会)」もあります。
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