私たちの教会では、毎週日曜日午前10:30から12:00まで、「主日礼拝」(しゅじつれいはい)を行っています。

主日礼拝は教会が最も大切にしている集会で、賛美歌を歌い、祈りをささげ、聖書の言葉に耳を傾け、神を礼拝しています。

今日の主日礼拝では、教会メンバーそれぞれに信仰について語っていただく時間を設けました。

主の恵みを語る、証言するという意味で、キリスト教会では「証し会」(あかしかい)と呼ばれています。

お互いを知り、慰められ、励まされする、私たちにとっては密度の濃い時間です。

今回のテーマは、「わたしにとって教会とは」

「わたしの大切な居場所」「Home」「こころと信仰のいやしの場」…など、それぞれがそれぞれの言葉で語ってくださいました。

シニアの女性は次のように語ってくださいました。
「わたしにとって教会とは、神を礼拝し、賛美し、祈るという意味で『神聖な場所』です。しかし、同時に、ただそこにいるだけでホッとできる『こころ安らぐ場』です。そして、こころをいやし活かす聖書の言葉、神の言葉を聴かせていただける『恵みの場所』です。」

クリスチャンホームに生まれ育った男性は、こんなふうに話してくれました。
「こどもの頃のわたしにとって、教会とは『行かなければならないところ』でした。両親が信者でしたので、毎週一緒に連れて行かれるところだったのです。
大学に進学、そして就職し、一人暮らしをするようになって、しばらく教会に行かない時期がありました。わたしはそのとき、「教会に行かないとは、こういうことか」とわかりました。それは、「区切りなく続く毎日」であり、「方向感覚を失うような感覚」でした。
わたしにとって週に一度の主日礼拝は、わたし自身をリセットし、生き方の向きを正すときとなっていたんですね。そこから、わたしは自分の意志で喜びをもって教会に集うようになりました。」

音楽好きなある男性は、ユニークな表現をしてくださいました。
「わたしにとって教会とは、音楽室みたいなところです。そこには音があり、良く響くのです。実際、この礼拝堂は音が良く響く礼拝堂ですが、この響きはこの教会でしか聞けない響きであり、音なのです。ここでしか聞くことのできない音がある、響きがある。それがわたしにとっての教会です。」

彼の話を聞きながら、牧師である私はこんなことを思いました。
「本当だなぁ。この世界には音が満ちている。でも、教会でしか聞けない音、教会でしか聞けない響きがある。イエスが語ってくださる『永遠の命の言葉』がそれなんだ………。」

何人かの方が話してくださったのは、「信仰者であるわたしたちにとって、人生は巡礼の旅であり、教会はその旅路を共に歩む仲間です」というようなお話でした。

「♪ やさしい主の手に すべてをゆだねて
   旅ができるとは なんたる恵みでしょう ♪」
  (新聖歌474 日本福音連盟新聖歌編集委員会 編)

有名な賛美歌のおりかえしの部分をみんなで歌いました。本当に、この歌詞にあるとおりです。

最後にある女性が語ってくださいました。
「わたしは幼い頃から教会と共に人生を歩んできました。よいときもそうでないときも…。そういう意味で、わたしは教会の中で生きてきたということができるかもしれません。わたしにとって教会とは、わたしの人生そのものでした。」

一人ひとりの言葉が心に残る証し会でした。