
教会玄関ホールに飾られている、教会メンバーの聖句書道作品です。
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
(日本聖書協会「聖書 新共同訳」 ヨハネによる福音書 15章5節)

実りの秋です。富山にはぶどう園も多くあり、この時期、わが家でも、買ってきたぶどうをおいしくいただいています。ぶどうを見ると、イエスが語られた「ぶどうの木と枝」のたとえを思い出します。
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」。
イエス・キリストは、ご自身をぶどうの木に、そして、ご自分を信じてしたがう者たちをその枝にたとえて言われました。
「つながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」。
大切なことは、「つながる、つながっている」ということです。枝は木から離れては、実を結ぶことができません。しかし、つながっていれば、実を結ぶようになります。
主イエスは、どのようなときにも、私たちを離さず、つながり続けようとし、命を注いでくださるお方です。
私たちも、このお方につながって生きるとき、主イエスから永遠の命が注がれて、豊かに実を結ぶようになります。
そして、私たちはその恵みを味わい、大きな喜びに満たされるのです。

ところで、「豊かに実を結ぶ」とは、具体的にどのようなことでしょう?
繫栄すること、健康になること、何ごともうまくいくこと……
もちろん、神の恵みとしてそうしたものをいただけることはあるでしょう。しかし、そこだけに目を向けてしまうと、信仰を「自分の願いをかなえるための手段」としてとらえることになってしまいます。
そして、イエスは、決してそのような意味でこの言葉を語ったわけではありません。
イエスの言葉を見てみましょう。
あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。
(日本聖書協会「聖書 新共同訳」 ヨハネによる福音書 15章8,9節)
主イエスは、「豊かに実を結ぶ」ということを、ご自分の弟子となることと、それによって父なる神が栄光をお受けになることに結びつけています。
つまり、イエスとのつながりが深まっていくこと、父なる神とのつながりが深まっていくことを、「豊かに実を結ぶ」という言葉で表現しているのです。そして、そのつながりの土台となっているものが「愛」なのです。
キリスト教で言う「愛」とは、人を活かすもの、人を活かす命です。
「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた」。
生きる上では、悩むとき、苦しむとき、悲しむとき、孤独を感じるときがあります。
しかし、そのとき、だれかが共にいてくれる、変わらぬ愛をもって支えてくれる。そのようなとき、人は生きていくことができるのではないでしょうか。
ほかのだれでもない神ご自身が私たちを愛し、そのために御子イエスを遣わし、そのお方を通して、私たちを愛し続けてくださっている。
イエスを通して、そのことに気づき、信じるとき、私たちは神の愛と命を得て、生きていくことができるようになります。そして、イエスにつながり続け、その愛にとどまり続けるとき、私たちは徐々に、豊かに実を結ぶようにされていくのです。
だから、「わたしの愛にとどまりなさい」と、イエスは語るのですね。
その恵みを、聖書を通して、そして教会で、共に味わってみませんか。

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