「その健やかなる時も、病める時も、富める時も、貧しき時も、いのちの日の限り、あなたの妻に対して(あなたの夫に対して)、固く節操を守ることを誓いますか。」

12月7日(土)、娘の結婚式の日。とうとうその日が来てしまったんですね。

※写真はイメージ写真です。

「お父さん、結婚式の司式をお願いできますか?」
娘からそう頼まれたとき、父親としてというよりも、牧師として喜んで引き受けました。

結婚式といえば、花嫁と父が腕を組んでウェディング・アイルを歩く場面がありますよね。

父親であり牧師である私が、牧師ガウンを着て花嫁と歩く…。

それも「あり」かとは思いましたが、私としては「牧師として司式を引き受けたのだから…」という思いがありました。

娘に尋ねると、「もちろん、お父さんと歩きたい気持ちはあるけど、どちらかを選ばなければならないとしたら、私はお父さんに牧師として司式をしてもらいたい。」

そこはしっかりと決めていたようです。

結局、新婦一人で入場するスタイルをとることになりました。

私はチャペルの講壇に立ち、一歩一歩進む彼女の姿を見ながら、これまでのことが走馬灯のように思い起こされ……なんていう余裕はありませんでしたよ。挙式進行を間違えないようにと、頭の中はフル回転。

いよいよ誓約の場面です。

冒頭に記した「健やかなる時も、病める時も」の誓いの言葉が読み上げられ、「はい、誓います」と新郎、続いて新婦が誓います。

新郎が真剣な顔で答えてくれたことがうれしかったですし、新婦が答えたときには、彼と結ばれたことがうれしくもあり、私たち夫婦のもとを離れたさみしさみたいな、父親としてちょっと何とも言えない気持ちになりました。

※写真はイメージ写真です。

さらに式は進み、牧師の話となります。

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「ご結婚おめでとうございます。ここで短くお話をさせていただきます。

お二人には、神の前で「愛」を誓い合っていただきました。

ところで、「愛」とは何でしょう?「愛する」とはどういうことでしょう?

いつもそばにいること、優しくすること、ありがとうと言うこと……いろいろな言い方ができると思います。

ある人が、「愛する」ということを次のように定義しました。

「愛するとは、目の前にいる人を幸せにするために、精一杯生きること。」(×2)

これからお二人の生活が始まります。朝、目覚めて、二人で朝食を取るとき、新郎の前には新婦が、新婦の前には新郎がいます。

そのとき、「そうだ、今日も一日、目の前にいる彼女を、彼を、幸せにするために、精一杯生きていこう。」そんなふうに思っていただきたいのです。

人生には、晴れの日もあれば、雨の日もあります。

健やかなる時も、病める時も、富める時も、貧しき時も…。

しかし、どのような時にも、目の前にいる人を幸せにするために、精一杯生きる。共に生きていく。それが「愛する」ということなのです。

そして、お二人の幸せが二人の幸せにとどまらず、周囲の人々の幸せにもつながっていく…。

そのような歩みとなりますようにお祈りしています。」 (全文)

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新郎新婦は参列者の祝福を受けながら、にこやかに退場していきました。

おめでとう!

披露宴の最後に、式と披露宴の動画を編集したエンディングムービーが流れました。

映像と共に流れた曲は、Uruの「そばにいるよ」(作詞作曲:優里)。

「健やかなるとき病める時も」
 「何もできなくなったとしても」
  「ただ、そばにいるよ」

歌詞が印象的な、とても素敵な歌でした。