
夜・夜明け・昼 エリ・ヴィーゼル
村上光彦訳 みすず書房 1984年
15歳の時アウシュヴィッツを体験したヴィーゼルの三部作『夜』『夜明け』『昼』が収められています。
『夜』は新版で読んだので、『夜明け』『昼』を読みました。
『夜』は自伝的小説ということでしたが、『夜明け』『昼』のほうは小説です。とはいえ、アウシュヴィッツでの体験が、これらすべての作品の根底にあることは間違いありません。
『夜明け』は、強制収容所を生き延びた若者エリシャが主人公。
解放後、彼はイスラエルの独立運動に参加し、テロリストとして活動する中で、イギリス人将校を処刑する役目を負わされます。
かつては命奪われる側であった彼が、今、命を奪う側に立つ(立たされる)。この立場の逆転は、彼の心に重くのしかかります。「それをしてしまえば、自分はもはや別の自分、別の存在になってしまう」ということを、彼は意識しています。
仲間は言います。
「これが戦争というものさ。気に病むんじゃないよ。」
しかし、エリシャの心はある一つの考えに囚われます。
《あした、ぼくは人をひとり殺すのだ。》《ぼくは人をひとり殺すのだ、ぼくがだ。》
重要なのは、双方がともに脚本のなかで自分に課せられた役割を演ずるということだ。死刑執行人と犠牲者とは、われわれの条件の両端だ。わが意に反してそこに立つことがありうるということ、それこそ悲劇的なことなのだ。(p87,88)
結末に至る数ページは、胸が締めつけられる思いがしました。
そして、「これが戦争というものだ」という言葉が、別の意味で暗く響いてくるのでした。

『昼』は、強制収容所を生き延び、新聞記者となったエリエゼルを主人公とする物語。
彼は交通事故に遭い、生死をさまよいますが、一命をとりとめます。
入院生活の中で、彼は自身の半生と出会って来た人々のことを思い返します。また、彼を支えてくれている人々に目を向けます。
しかし、強制収容所という恐ろしい体験は、彼自身を変えてしまったばかりでなく、彼の話を聞き、彼と関わる人々の人生をも変えてしまうほど強烈なものでした。
そう、交通事故に遭う前から、それ以前から、彼は生者と死者とのはざまで生きる存在、生死をさまよっている存在として歩んできたのですね。
終盤に登場する友人の画家ジューラとのやり取りが、物語の緊張を一気に高めます。
最後の場面、ジューラがエリエゼルのためにしたことは、果たしてエリエゼルに救いをもたらしたのでしょうか、もたらすのでしょうか。
『夜』『夜明け』『昼』の三部作は、ホロコーストという体験が、体験者自身とその周囲の人々を決定的に変えてしまうことを描き出しています。どれほど「今」を、そして「これから」を生きようとしても、自分自身の中でその「過去」をなかったことにすることはできないし、そして、それを背負わされて生きていくことはとても苦しい…。そうした重いテーマが全編に通じています。
