
溺れるものと救われるもの プリーモ・レーヴィ
竹山博英訳 朝日文庫 朝日新聞出版 2019年
前回の投稿で、レーヴィの『これが人間か』をご紹介しました。アウシュヴィッツ強制収容所の体験記録でした。
『溺れるものと救われるもの』は、「アウシュヴィッツという出来事」の風化を恐れたレーヴィが、約40年の歳月を経て、「アウシュヴィッツとは何だったのか」を改めて深く問い直した評論集です。
難しかった…。すらすらとは読めませんでした。
読者にわかるように、わかりやすい文章をめざして書かれたものとは思えませんでした。これはレーヴィの「書き方」を批判しているのではありません。私自身の基礎知識の不足や語彙力、読解力のなさはもちろんあるのですが、たとえそれを持っていたとしても、ある種のわかりにくさは残るのではないかと思いました。
その理由はどこにあるのかを考えてみました。彼は、「アウシュヴィッツとは何だったのか」について、それを風化させてはならないという強い使命感に迫られて、粘り強く考え続け、その思考を深めながら書き、書きながらまたさらにそれを深めていく、そうした絶え間ない作業を続けていたのではないかと思えるのです。読者に向き合うというより、「あの問題」そのものと向き合っていたのではないか。その思考の軌跡がそのまま文字となり、文章となっていたのではないか。
とすれば、この本を読むためには、読者である私たちが著者レーヴィに「寄っていく」必要があると感じました。彼の言葉、彼の思考を遮らないように、ただひたすらに耳を傾ける、傾け続ける。そのように寄り添うとき、苦悩の深淵に立つ彼の魂と触れ合うような予期せぬ瞬間が時折訪れる。そのような気持ちにさせられる本でした。
「あの体験」を風化させないように語り続けるということは、確かに意義あることではありますが、しかし、それを語る人にとっては、本来思い出したくないことを何度も思い返すこととなり、さらに言えば、その苦しみを味わい直す、体験し直すということにもなります。彼は、本書を出版した1年後、自ら死を選んだとあります。アウシュヴィッツを深く問い直すその壮絶な作業が影響したのでしょうか。
本書の 「8 ドイツ人からの手紙」(p216~) は、緊張感にあふれていました。この章では、レーヴィの『これが人間か』を読んだドイツ人からの手紙が紹介され、彼らとのやり取りが記されています。レーヴィは『これが人間か』をイタリア語で執筆しました。それは数か国語に翻訳されましたが、「ドイツ語への翻訳」は、彼にとって非常に重要な意味を持ちました。それは彼にとって、自分たちにあのような体験を強いた「ドイツ人への手紙」の性質を持つものであったからです。そして、その反応、応答としての「ドイツ人からの手紙」が届いたのです。彼がどのような気持ちでそれを開封し、読み進めたのか。そして、読み終えた後、彼は何を感じ、何を思ったのか。そのやりとりの追体験は、息が詰まる思いがしました。
私には難しくてわかりにくい本書でしたが、竹山博英氏による『訳者あとがき』が内容理解のよき助けとなりました。
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今年は戦後80年の年でした。戦争体験者、原爆体験者が高齢化し、その体験を証言できる人が少なくなっていると言われています。
レーヴィが最も恐れていたのは、風化です。証言する者がいなくなるということは、その出来事や体験が「なかったこと」にされたり、「捻じ曲げ」られたりすることにつながります。そしてそれは、過酷な体験を強いられた人々が「いなかった」ことにされてしまうことと同じです。そうなれば、同じようなことがまたいつどこで起こってもおかしくないということになります。
だからこそ、レーヴィは「証言者」として語り続けたのだと思います。そして、私たちもまた、戦争体験者の証言に耳を傾け続け、その記録を繰り返し読み、記憶にとどめ続けるということが大切なのだと思いました。