2023年8月6日(日)、主日礼拝。
富山市内では猛暑日が続いています。室内は冷房が効いているのでいいのですが、一歩外に出れば、むっとした熱い重い空気……。この1週間もこの状態は続きそう……。

「キリスト教の礼拝って、シンプルなんですね」とよく言われます。教会の主日礼拝にご参加くださった方々からの声です。
そう言われれば、そうかもしれません。主日礼拝の流れをきちんと説明すると長くなるのですが、おおざっぱに言えば、賛美歌を歌って、使徒信条と主の祈りを唱え、説教(聖書の話)を聞いて、また賛美歌を歌って終わり…ということになります。時間は、今もコロナ対応で賛美歌の曲数を減らしているので、1時間ちょっとで終わります。長くても、1時間30分を超えることはありません。
ただこれは、教会によります。私たちの教会の場合、人数が少なく、また牧師も含めて集っている人々がシンプルな人々(シンプルさを求める傾向がある人々)であるからかもしれません。人数の多い大きな教会では、多彩なプログラムが組まれることも多いかもしれません。
いずれにせよ、礼拝のプログラム内容はその一つひとつに意味があり、どれも同じように大切なものですが、プロテスタント教会では、その歴史的経緯から、説教に重きがおかれるということが言えるでしょう。
主イエスは言われました。
イエスはお答えになった。
「『人はパンだけで生きるものではない。
(日本聖書協会「聖書 新共同訳」マタイによる福音書4章4節)
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』
と書いてある。」
人はパンだけで生きる存在ではなく、神の言葉を聴くことによって生きる、生かされる存在なのだということなんですね。
そういう意味で、私たちの教会は、もちろん神を礼拝するために集っているのですが、その中でも、神の言葉を聴くために集っている、と言うことができるかもしれません。私たちはそこで語られる聖書の言葉に慰められ、励まされ、生きる力をいただいて、人生を歩んでいるんですね。
今週も、神の言葉に励まされ、私たちなりに神を愛し、人を愛する生き方をしていこうと思います。
