教会玄関ホールに飾られた、教会メンバーの聖句書道作品です。
「インマヌエル 神は我々と共におられる」
マタイによる福音書1章には、イエス・キリストの誕生の次第が書かれています。
マリアとヨセフは婚約していましたが、二人がまだ一緒になる前に、マリアが妊娠していることが明らかになりました。マリアの不貞が疑われる状況です。
ヨセフは正しい人であり、マリアを慮ってこの件を表ざたにせず、ひそかに縁を切ろうと決心します。この決心に至るまで、彼はどれほど思い悩んだことでしょう。しかし、彼は心を決めたのです。ここでこの件は終わるはずでした。
ところが、ここから話が思わぬ方向に展開していきます。
このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
(日本聖書協会「聖書 新共同訳」マタイによる福音書1章20,21節
ここで福音書記者のマタイの注釈が入ります。
このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
(同1章22,23節)
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。」
ヨセフは眠りから覚めると、主の天使の御告げに従い、マリアを離縁せずに迎え入れました。そして、男の子が生まれます。ヨセフは御告げに従って、その子をイエスと名付けました。
このイエスが、インマヌエルと呼ばれる。その意味は「神は我々と共におられる」という意味である。ということなんですね。
イエスの誕生は、神のご計画によるものであり、「神が私たちと共におられる」ことのしるしなのです。
キリスト教は、イエス・キリストを信じる宗教ですが、「イエス・キリストを信じる」ということは、「神が私たちと共におられる」ということを信じることなんですね。
そして、「神が私たちと共におられる」ということを信じるとき、それを信じる私たちの前に新たな地平が開かれていきます。
このクリスマス、みなさんの上に神の恵みが豊かにありますようお祈りいたします。