教会玄関ホールに飾られた、教会メンバーの聖句書道作品です。

「今おられ、かつておられ、やがて来られる方」

ヨハネの黙示録1章8節からの言葉です。

私たちの教会では、昨年2月から毎週水曜日夜の祈り会で、新約聖書の「ヨハネの黙示録」を学んでいます。

この黙示録という言葉。みなさんも文学や絵画、音楽、映画など、どこかで見たり聞いたりしたことがあるかもしれません。この言葉には、何となく「破壊、破滅」のイメージがついて回るので、それらの作品にはちょっとおどろおどろしい雰囲気があったのではないでしょうか。

キリスト教信者の中にも、このヨハネの黙示録について、「何だか恐ろしいことが書いてある書物」というイメージを持っている方がおられます。

しかし、このヨハネの黙示録。実は、キリスト教の終末的希望を語る書物であって、それを聞く者読む者に、慰めと約束、励ましと希望を与えるために書かれたものなのです。

そうした「ヨハネの黙示録」の魅力を、信者のみなさんと共に学びたく思い、祈り会で学ぶことにしました。

私たちの教会にしては珍しく、この書物が書かれたときの時代状況やこの書物がどのように読まれ解釈されてきたかなど、約8カ月もかけて序論を学びました。現在は、「ヨハネの黙示録」そのものの学びに入り、毎週少しずつ読み進めています。

上の書道作品は、この学びに触発された方が、ヨハネの黙示録1章から個人的に印象に残った言葉を聖句書道にしてくださったものです。

神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」

(日本聖書協会「聖書 新共同訳」ヨハネの黙示録1章8節)

主イエス・キリストは、「神である主」であり、「今おられ、かつておられ、やがて来られる方」であり、「全能者」である、ということなんですね。続くアルファとは始まりのこと、そしてオメガとは終わりのことです。

主イエスは、いつもどのようなときにも私たちと共にいてくださるだけでなく、この世界を新しくするためにやがて来られる。私たちはこの「やがて来られる方、主イエス・キリスト」を待ち望みながら、この世界の現実を、主に支えられながら、前を向いて歩いていきたいと願っています。