あけましておめでとうございます。

みなさまの上に、今年も神の恵みが豊かにありますようにお祈りいたします。

今年もよろしくお願いいたします。

教会では、2024年元日、午前11:00~12:00、新年礼拝(オープン礼拝)を行いました。

新年にふさわしい賛美歌を歌い、聖書の言葉に耳を傾け、この一年が神に守られ、祝福されるように、心を合わせて祈りました。

聖書のお話では、ヨハネの黙示録 21章1~4節から、
「玉座から語りかける大きな声」というタイトルでお話をしました。

「玉座から語りかける大きな声」

そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」

(日本聖書協会「聖書 新共同訳」ヨハネの黙示録21章3、4節)

1.神はどこにおられるのか?

新しい年が始まり、新しい気持ちでまた歩み始めようと思いつつ、心には、戦禍の中にある世界の人々のことも思い起こされ、彼らが本当の意味で「Happy new year」「あけましておめでとう」と言える日はいつ訪れるのだろうかと思うのです。その日が一日も早く来るようにと祈ります。

戦争に限らず、私たちの人生には、「どうしてこんなことが…」「どうして私に…」と思わざるを得ない、理不尽な、不条理なことが起こります。

私も牧師をしていますので、「神がおられるなら、どうしてこんなことが起こるのですか!?」「どうして神様は、何もしてくださらないのですか!?」と問われたことが何度もあります。

一般論としてではなく、ご自分がつらい苦しい体験を今まさになさっている方を前にして、いつも私は何と語りかけたらよいのか、自分でもわからないのです。言葉が見つからないのです。

人生の苦しみについての議論をここでするつもりはありません。「何も話す必要はありません。ただ黙って、その声に耳を傾け、寄り添い、共感することが必要なのです」というアドバイスも、本当にそのとおりだと思っています。

しかし、それでもなお、私は、「イエスなら、神様なら、何とおっしゃるのだろう」と、それを思うのです。

「神がおられるなら、どうしてこんなことが…」
「神がいるなら、いったいどこにおられるのか…」

それは、神に対する私自身の問いかけでもあります。

「主よ。この問いに、あなたはどうお答えになるのですか?」

2.「わたしは あなたと共にいる」

聖書の中に、繰り返し繰り返し出て来る言葉があります。

「わたしは あなたと共にいる。」

聖書は、イスラエル民族の歴史をつづった書物であり、イエス・キリストの到来によって生み出された教会の歩みの記録であり、神がこの世界を救ってくださるという終末的希望を語る書物です。その壮大な歴史物語の中で、神は人に、絶えずこう語り続けて来ました。「わたしはあなたと共にいる」「わたしはあなたがたと共にいる」と。

私は思うのです。この現実の中で、イエスが、神が、何かを語るとするなら、やはりそれは、「わたしはあなたと、あなたがたと共にいる」ということなのではないかと。

その言葉が、無力な、何の意味も持たない言葉として空しく響くような状況の中にあっても、それでも神はこう語り続けるのではないか。「しかし、それでも、わたしはあなたと、あなたがたと共にいる」と。

切実な思いで、神はそう語り続けるのではないか。私はそう思うのです。

3.玉座から語りかける大きな声

最初にお読みしたヨハネの黙示録21章1~4節には、やがてこの世界が過ぎ去り、新しい天と新しい地が訪れることが記されています。キリスト教が信じている「終末的希望」です。

もう一度、ご一緒に耳を傾けましょう。

そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。

(日本聖書協会「聖書 新共同訳」ヨハネの黙示録21章3、4節

終末において神が私たちを復活させ、神と共に永遠に生きるものとしてくださるという勝利と慰めの宣言です。私たちがどのような人生を歩むとしても、その私たちを受け止め、迎え入れてくださるお方がおられる。そのお方は私たちの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださり、私たちをいやし、回復し、報いてくださる。ここに私たちの希望があります。

「玉座から語りかける大きな声」は、この世界を生きる私たちに向かって語り続けています。

そうです。神は、大きな声で私たちに語っておられるのです。

私たちはその声を聞きながら、

「終末的希望に向かって」

「この世界の現実を」

「『しかし、それでも、神は我々と共におられる』という福音を信じて」生きて行くのです。

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聖書の話に興味をお持ちになられましたら、ぜひ教会をお訪ねください。

「主日礼拝」は、毎週日曜日 午前10:30~12:00に行われています。

一般の方々を歓迎する「オープン礼拝(主日礼拝体験会)」もあります。

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