2023年9月24日(日)、この日の主日礼拝はオープン礼拝(主日礼拝体験会)でした。
オープン礼拝では、「キリスト教は初めて」「キリスト教や聖書の話を聞いてみたい」という方々向けのわかりやすいお話をご用意しています。
今回は、ヨハネによる福音書6章16~21節から、「わたしだ。恐れることはない。」というタイトルでお話をしました。
「わたしだ。恐れることはない。」
オープン礼拝では、今、ヨハネによる福音書から「イエスの7つの奇跡」を順番に取り上げてお話をしています。
7つの奇跡というと、イエスは7つしか奇跡を行わなかったように思われるかもしれませんが、そういうわけではありません。
著者ヨハネは、イエスの奇跡を7つ取り上げることによって、イエスの力とイエスがどのようなお方であるかを示していきます。そして、イエスの語る神の国が訪れるとき、どのようなことが起こるのかを示そうとしています。
今日は、その5つ目の奇跡のお話です。イエスが湖の上を歩いたという奇跡を見ていくことにします。
1.強い風が吹いて、湖は荒れ始めた
舞台はガリラヤ湖になります。前回のお話では、ガリラヤ湖の向こう岸で、イエスが5つのパンと2匹の魚で5,000人の人々を満腹させたという奇跡を見ました。
イエスの奇跡を見た人々は、「イエスがいれば、パンの問題は解決する」、つまり、生活上の問題は解決すると思ったのでしょう、彼を自分たちの王にするために連れて行こうとしました。ある種の熱狂、興奮状況が生じたのではないかと思われます。
しかし、イエスは、人々の熱狂にご自分を任せることはせず、彼らから身を引き、ひとりで山に退かれました。イエスとは、そういうお方です。
おそらく弟子たちには、先にガリラヤ湖の向こう岸カファルナウムに行くように伝えたのでしょう。夕方になって、弟子たちは湖畔へ下りて行き、舟に乗って向こう岸に渡ろうとしました。
ところが、その途中、強い風が吹いて来て、湖が荒れ始めたというんですね。ガリラヤ湖周辺は風光明媚なところですが、周囲を山で囲まれていて、気温の変化などによって山から激しい風が吹き降ろしてくるということがあるんですね。
すでに暗くなっていました。4~5kmほど漕ぎ出したほぼ湖の真ん中あたりに、舟はいました。闇の中、強い風、荒れる波に襲われて、舟は前にも後ろにも進めません。
夜の海(湖)というのは、岸からそれを眺めるだけでも不気味で恐ろしいものですが、荒れる湖の舟の中、弟子たちの恐怖はどれほどのものだったことでしょう。
2.「わたしだ。恐れることはない。」
そうした彼らの舟に、何者かが近づいて来ます。彼らはそれがイエスであるのを見ました。イエスが湖の上を歩いて舟に近づいてきたのです。彼らは恐れの上にさらに恐れを抱きました。
すると、イエスは言われました。
「わたしだ。恐れることはない。」
「わたしだ。恐れることはない」とは、どういう意味でしょう?
一つには、「この激しい風に舟が沈みそうになることを恐れる必要はない」という意味があるでしょう。弟子たちを安心させようとする言葉です。しかし、その根拠はどこにあるのでしょうか?
それがこの言葉のもう一つの意味につながります。「わたしだ。」 “このわたしが” あなたがたと共にいる。だから恐れる必要はない」ということなんですね。
この奇跡はヨハネ福音書における5つ目の奇跡です。弟子たちは、すでにイエスの奇跡を4つ見ています。とすれば、イエスがただの人ではないということを理解してもよさそうなものです。
「そうだ、わたしだ。 “このわたしが” 、あなたがたと共にいるのだ。だから、恐れることはない。」
ただならぬお方イエスが「恐れることはない」とおっしゃってくださっている。ここが、このお話のポイントなんですね。
3.舟は目指す地に着いた
イエスの言葉を聞いた弟子たちは、イエスを舟に迎え入れようとしました。すると間もなく、舟は目指す地に着いたのでした。
細かいことが気になる私は、「このとき、イエスは舟に乗ったのか、乗らなかったのか」が気になるのですが、よく考えてみれば、「乗っても乗らなくても、彼らを目指す地に着かせたのは、導いたのは、『イエスだ』」ということであれば、気にしなくてもよいことなのでしょう。
イエスは、彼らを目指す地に導いてくださった。そういうことなのです。
さて、みなさん。今回のイエスの奇跡は、私たちに何を教えようとしているのでしょう?
私たちの人生は、しばしば旅にたとえられます。今回の場合、それは船旅です。いつも穏やかな天気であれば快適ですが、時として、激しい風が吹いて来て、どうにもこうにもならなくなることがあります。人生の危機です。
しかし、主イエスは私たちと共にいてくださるお方であり、このお方が、私たちを目指す地に導いてくださる、ということなんですね。
ここでみなさんに考えていただきたいことは、みなさんにとって「目指す地」とはどこか、ということなのです。
みなさんにとっての「人生の目的地」は、「どこ」ですか?
みなさんは、「どこ」を目指して、人生を歩んでいらっしゃいますか?
私たちは、ヨハネによる福音書からイエスの奇跡を読み続けているわけですが、イエスの奇跡は「神の国が訪れる時に、何が起こるのかを示そうとしている」と、お話しし続けて来ました。
それは今回も同じです。今回は、神の国が訪れるその時に、イエスは私たちを その目指す地「神の国」 に導いてくださる、ということが語られているのです。
人生にはいろいろな出来事が起こりますが、イエスは最終的には私たちをその目指す地「神の国」に導いてくださる。救いは「未来・彼岸」にあります。
しかしまた、それを信じるからこそ、そして主イエスが共にいてくださるからこそ、今この時を精一杯生きよう、生きていこうと、私たちは思うのです。救いは「今ここ・此岸」にあります。
そして、今を生きる私たちに、イエスは力強く語ってくださるのです。
「わたしだ。恐れることはない」と。